支部長便り

口からの摂取

3年位前からアイスクリームを小スプーン半分にのせて5,6杯を口から摂取し味を楽しんでいます。

しかし、舌根沈下もあり、舌でブロックされ咽までとどかず、吸引で回収する状態です。食道の開き具合も悪くなっています。

気管咽頭分離手術をして誤嚥の心配がなくなったので、ミキサー食にすれば色々食べられると思っていましたが、かないませんでした。

 

嚥下も悪くアイスクリーム小スプーン半分を呑み込むのに40秒位かかります。

言語聴覚士の先生からゼリーやプリンの摂取については問題ないが、舌にブロックされたり、逆流してきてしまうと聴きました。

しかし、それでもめげずにチャレンジし続けていきたいです。

なお、上記の口腔内の状態、嚥下麻痺はわたしの場合でありますので、同じALS患者で人工呼吸器装着者でも症状が軽く、胃ろうを着けなくても口から色々なものが食べられる方もいらっしゃることを付け加えさせていただきます。

2024年11月

彼岸花を観に行きました

10月2日に長年の念願だった彼岸花を観に行きました。

彼岸花の美しさもさることながら、車椅子をフラットに倒すと青空に浮かぶ秋雲を眺め幸せな時間をかみしめていました。

6月以来4ヶ月ぶりの外出でしたので4時間程度でしたが、手足のしびれがひどくその日の夜はヘルパーさんにマッサージしてもらっても中々寝付けませんでした。寝たきり生活が続くと症状が強烈になっていく恐ろしさを感じます。

手の浮腫みも酷いです。

寝たきりになるとヘルパー一人で外出はとても危険です。しかし、どこの事業所様も外出の

ために2名揃える余裕がありません。それならば2社が協力すればいいのですが、曜日と時刻が中々合わないのが現状です。

 

わたしのように年数回程度でも外出ができるのは恵まれているほうです。

ヘルパー不足で悩んでいる患者家族は多いと聞いています。わたしもこの1年間で半数以上が入れ替わり綱渡りでした。

名古屋市は確かに訪問介護テーションが多いですが、患者数も多いので決して余裕があるわけではありません。我が家も正にその通りだと感じた次第です。

2024年10月

 

人工呼吸器を加湿器型に変えました

最近人工呼吸器のフレックスチューブの位置が少しずれたり、ちょっとしたことで息苦しくなるので、人工呼吸器(TPPV)を加湿器型に変えました。

また、カフアシストの換気量が以前よりも落ちているので在宅医に呼吸器機能に変化があるか聞いてみると肺の筋肉が痩せて膨らみにくくなっているとのことでした。

この話を聴いて恐ろしくなりました。肺がしぼんでいけば呼吸不全で死に至るということなのか。先日定期通院している大学病院の神経内科医に相談したら、リハビリを継続するように言われました。

知人のALS患者で肺が徐々に膨らまなくなり、呼吸不全で亡くなられた方もいらっしゃるので、自分もそうなるのかとても不安です。

早速訪問リハビリ(週3回)の先生へは呼吸リハビリの時間を長くしていただくようにお願いしました。

今まで多くのリハビリの先生にお世話なってますが、今の先生はとても素晴らしい方々です。

効果が出ますように!

2024年9月

 

寝たきり生活の辛さ

ALSの診断を受けて10年になります。5年前に気管切開しました。現在は在宅で24時間介護を受け、ベッド上で日常生活を送っています。

寝たきりになってからの身体の変化です。

歩行ができたのですが、頚椎が弱いからとの理由でベッドからの離床を禁止され、排泄に困りました。前日近くの神社まで車椅子で散歩し、境内を自力で歩行(約70メートル)していたのです。離床禁止を指示した訪問看護師のNさんと当時のケアマネジャーに対し必死に抵抗しましたが、一切聞き入れてもらえませんでした。

そんなバカな⁉ あまりにも理不尽⁉ この日以降立位も端座位もできなくなりました。

こんな生活を強いられるといくら丈夫な足腰も使わないと廃用症候群で痩せ筋力が落ちていきます。

わずか数ヶ月で大腿部がえぐり取られるように痩せました。膝下は腕の太さ位に細くなっていました。原因はALSの進行もあるのかもしれないですが、廃用症候群によると考えるのが妥当です。リハビリのメニューに腰上げ、足上げ各10回など筋トレを入れましたが、次第に腰も足も上がらなくなりました。歩行しようとしても足が鉛のように重くて

一歩も動かないのです。こんな悲しいことはありません。

 

寝たきり生活になってからの苦悩は増大していきました。仰臥位で寝るのが基本なので背中には湿疹ができ、そのほかに手足が24時間しびれ、2年前より耳が悪くなり今は殆ど聴こえません。テレビは字幕を観れますが、大好きだった音楽を聴く楽しみがなくなりました。

 

現在はケアマネジャーも訪問看護ステーションも変わり、わたしの意向を尊重し禁止されていた端座位も立位も復活し車椅子移乗もしてくださってます。新しいケアマネジャーさまと訪問看護ステーションさまには感謝の気持ちでいっぱいです。

しかし、立てなくなった脚の筋力が戻ることはありません。ALSだからです。以前の訪問看護ステーションは患者の安全が保たれていれば息をしているだけの生活でも良しとする考えに対して、現在お世話になっている訪問看護ステーションは安全を最優先した上で患者の意向を尊重してくださってます。

リスクが増える分医療スタッフさんの負担も増大しますが、それは承知の上です。頭が下がります。

2024年9月

6年ぶりに低圧持続吸引器が復活です

ALSでは口、舌、喉などの症状が進み、口の中で唾液をとり回し、呑み込むことが難しくなっていきます。

口や舌や喉の麻痺症状(球麻痺と書いてきゅうまひと読みます)がいつやって来るのかは、発症してから早い人や遅い人があってまちまちです。

私の場合は発症1年目から唾液が多く、3年目に入ると常に口にチューブをくわえて低圧持続吸引器で唾液を吸い上げてました。

しかし、5年目には唾液と鼻炎からくる鼻漏が途切れることがなく、吸引が追いつかなくなり誤嚥して熱を出してしまいました。

その時からはパワーのある大型吸引器(商品名 パワースマイル)だけを使用してました。

気管切開してからは気管に溜まった痰吸引用としても利用しています。

6年間問題なく唾液吸引できましたが、最近チューブの先が舌や上顎にくっついてしまい唾液が吸えないことが多くなりました。

唾液が吸えないと口角から溢れ出て顎をつたって首、肩にまで流れていきます。

吸引圧を最小に下げても圧が強すぎて唾液が吸えないので、ヘルパーさんに吸引チューブをくわえる位置を何度も微調整してもらってました。

そこで6年ぶりに低圧持続吸引器をダメ元で使って見ることにしました。

結果は吸引圧が予想以上に強く問題なかったので、パワースマイルを痰吸引専用にしました。

低圧持続吸引器は熱帯魚用水槽で使われているモーターを改造した手作りです。

商品としても出ていますが、すべての患者さんにあてはまるかどうかわかりません。

また、気管切開をされてない方は唾液(痰)が硬いと喉に詰まる恐れがあるので、パワースマイルクラスも用意された方が安全だと思います。

2023年11月

愛車との別れ

愛車を手放して8年になります。

8ヶ月も運転をしてませんでしたが、 ラジカット治療を始めた頃だったので、 もしかしたら 手の機能が回復し、 再び運転ができないかと 期待してました。
しかし、それもかないませんでした。

妻も娘も ペーパードライバーだったので、 運転する気はなくやむを得ず 処分することにしました。40000キロしか走ってなく、その約7割が通勤だったので本当に残念でした。

写真は愛車を手放す前年に一人で八ヶ岳までドライブし、途中紅葉の名所に立ち寄ったときのものです。

眼前には南アルプスの他に中央アルプス、御嶽山がそびえ素晴らしい景色に感動しました。

また是非訪れたかったですが、病気の進行でハンドルをきると肩の痛みが辛く、高速道路を走ったのはこの日が最後になりました。

今は自力で立つことさえもできなく、日常生活をベッド上で人工呼吸器を着けて過ごし、食べることも声をだすこともできなくなりました。

ALS(筋萎縮性側索硬化症)と診断されたとき数年後にどうなるのか聴いてはいましたが、本当にその通りに進行するのか半信半疑でした。

実は今も健常者の自分が重度障害者になった夢を見ているような、現実を受け入れられない気持ちなんです。

昨日まで普通に生活していたのが、目を覚ますと全身が動かなく声も出せなかったと表現してもいいくらい障害の進行があっという間でした。

ALSは誰にでも発症する可能性のある進行性の難病です。発症すると幸せだった家族も絶望の淵に立たされます。

ALSが難病でなくなる日が一日も早く訪れるように治療研究が進むためにも、多くの人々にALSという病気を知っていただきたいと思います。

ALS を発症して 10 年になります

体に違和感を覚えたのは 10 年前の 6 月下旬でした。

腕立て伏せをしようとしたら、右腕に力が入らなく何度やってもだめでした。その時はお
かしいなと感じた程度で別に驚きもしませんでした。

思い当ることとしては会社創立記念ボーリング大会で 2 ゲーム投球したことです。一週間
以上も経って疲れが出るとは?

異変を感じながらも、この歳になれば一つや二つ身体に異常が起きても不思議ではないと
思ってました。

この頃描いていた夢は定年退職後は体を鍛え直し、日本 100 名山生涯 50 座踏破にチャレ
ンジすることでした。

10 年後の現在は 40 座に到達している予定でした。まさか闘病生活を送っているとは⁉

脳出血で麻痺した足がリハビリで奇跡的に治り、歩けるようになった 80 歳位の女性にあ
ったことがあります。

しかし、ALS 患者ではありえないことです。人生の終末期を話せない、食べれない、体が
動かない、呼吸ができない闘病生活で終わるのは過酷過ぎます。

ではなぜ人工呼吸器を選択したのかと聴かれたら死ぬのが怖かったからです。それと悔し
さです。

人間はいつかは死ぬ。しかし、余りに理不尽。悔しくてたまりません。

実は 10 年経った今も ALS を受け入れてはいません。

負けてたまるか。死ぬために生まれてきたのではありません。生ききることです。

わたしには気持ちに寄り添ってくださる医療・介護スタッフさんがいます。

実は病気(ALS)の他にも問題を抱えてますが、何とかして乗り越えたいです。

痰吸引・水分摂取を怠らないこと

症状の進行のしかたは人それぞれですが、ALS 患者さんは痰吸引を怠らないことが
とても重要だと実感しています。

わたしが発症 5 年目に入った時は肺活量が 2000 を切りゆっくり歩かないと息切れ
して苦しかったです。

医師からは気管切開を勧められましたが、引き延ばしてまし
た。因みにバイパップは就寝中だけ装着してました。

足がしっかりしていたので、自力で階段を上り降りし家の周りを散歩もしてまし
た。ところが、ある晩椅子に掛けてヘルパーさんと会話中に突然息苦しくなりまし
た。痰詰まりです。

救急車を呼んでる余裕がなかったので、妻が鼻から吸引カテーテルチューブを 30 ㎝位奥まで通して痰がとれました。危なかったです。
これがきっかけで気管切開を決断しました。

2019 年 3 月に気管切開手術、11 月に喉頭気管分離手術をしたので万全だと思って
ましたが、気管からの痰吸引を怠ると肺炎を起こす恐れがありました。

また、気管内に痰が溜まり気道閉塞を起こすと肺へ空気が送り込まれなくなるの
で死に至ります。

わたしは今年に入って夜中に呼吸苦で目を覚ましたことが 2 回あ
りました。ヘルパーさんを呼んで痰吸引できましたが危なかったです。

気管切開前後とも共通していたことは呼吸苦になる当日や就寝前が痰が硬くて余
り引けてなかったことです。原因としては水分摂取量、湿度、1 日の痰吸引回数
(吸引量)などが考えられます。

対策として水分補給を多めにしたり、乾燥した季節には部屋の湿度が下がるので
加湿器を焚くようにしています。

その他に毎日カフアシストでトレーニングし、一日中ベッド上で仰臥位なので側臥位の時間を設けるように気をつけています。

気管切開手術、喉頭気管分離手術までしたので、気道閉塞でころっと逝ってしま
うのは避けたいですね。支援してくださっている医療・介護スタッフさんに申し
訳ないと思います。

あと何年生きられるかわかりませんが、家族のこと、この国の行末が気になりま
す。

来年こそは紫陽花の散歩道を散策したい

今年こそは紫陽花の散歩道へ行こうと思ってましたが、叶いませんでした。

見頃は6月でしたが、ヘルパーが2名揃う日が1日もありませんでした。7月は大学病院の定期受診でヘルパーが2名揃いましたが、時すでに遅しでした。

紫陽花の散歩道は大学病院の向かい側の鶴舞公園内にあります。ここの紫陽花はまだ一度も観たことがありせん。

健常者だった頃なら自動車を運転し30分で叶えられることが、4年経っても実現できないのです。
悔しいですが、現実を受け入れるしかありません。

しかしながら、ネガティブなことばかりではありません。3月には同じ鶴舞公園で満開の桜を、5月にはバラを観賞できて良かったです。紫陽花の散歩道は来年以降の楽しみに取っておこうと気持ちを切り替えることにしました。

先月は妻がたまたま大学病院へ行く用事があり、紫陽花の散歩道の写真を撮ってきてくれました。

綺麗ですね。来年こそは。

なぜ胃ろう造設手術が必要なのでしょうか?

ALS(筋萎縮性側索硬化症)が上肢、下肢の他に嚥下機能まで麻痺する病気だからです。

病気によっては一時的に胃ろうを使って経管栄養を行い、再び口から栄養を摂っている人もいますが、ALSでは嚥下機能が回復して再び食べられるようになることはありません。

呑み込みが上手くできないと食道へ流すために気管入口に蓋をする役目の弁が、正常に働かなくなり誤嚥性肺炎を引き起こしてしまうのです。

胃ろう造設手術は口から内視鏡を入れて行うため、嚥下機能や肺活量が低下してからでは実施が難しいので、症状が軽度の段階で医師から勧められます。

私は医師から上記の説明を受けて、避けることができないと手術を決意しました。

胃ろう造設手術はわずか20分程度で終了し、想像していたよりも簡単な手術でした。
手術をした日は傷口と空腹からの痛みがありましたが、翌日は食事ができました。

患者家族交流会では診断告知を受けて間もない人で、人工呼吸器装着も胃ろう造設もやりませんと仰る人もいらっしゃいます。

情報不足だと思いますので、医師からしっかり説明を受けたり、体験者に聴くなどして正しく認識していただきたいですね。

胃ろう造設手術で取り付けられる胃ろうカテーテルですが、劣化しますので定期的に交換となります。
胃内固定版が「バルーン(風船)型」 と「バンパー型」の2タイプがあり、「バルーン型」は1ヶ月ごと、「バンパー型」は半年ごとです。「バンパー型」は「バルーン型」と比較すると交換時に痛みを伴いますが、安全性が高いので医師からは「バンパー型」を勧められました。

胃ろうを造設し8年が経過しましたがトラブルもなく順調です。

毎日当たり前のように胃ろうからラコール、エンシュア、野菜ジュース等を入れているだけですが、しっかり健康が維持されているのは凄いことだと思います。

以上はわたしの場合です。
人工呼吸器装着者でも軟らかい物を口からも食べられる方や、胃ろうを造らず栄養をすべて口から摂取している方もごく稀にいらっしゃいます。

5月の鶴舞公園散策

先日ヘルパー2名介助が3時間とれたので鶴舞公園まで出かけました。

ツツジ、菖蒲、ネモフィラが観れるのを楽しみにしてましたが、全部ハズレました。

今年は桜の開花が随分早かったですが、ツツジも早かったようで既に枯れ始めてました。

20年以上も前のこの時期に訪れたときはツツジが満開で素晴らしかったのが今も強く印象に残っています。とても楽しみにしていたので残念でした。

しかしながら、バラ園は丁度見頃でした。赤色、黄色、オレンジ色と多彩で青空に映えて綺麗でした。

園内散策は60分の予定でしたが、長時間の座位はお尻が痛く、手の痺れや浮腫みも強くなり少し早めに引き上げました。

日常生活が殆ど横になってますので、身体を長時間起こしていると痛みや痺れなどの症状が出ますが、爽やかな青空の下で太陽の光を浴びとても良い気分転換になりました。

人工呼吸器の選択(わたしの場合)

ALSと診断されて毎月1回定期受診がありましたが、3ヶ月目の受診で人工呼吸器を着けるかどうかを次月の受診時に結論を出すように言われました。しかし、数ヶ月経っても結論を出せませんでした。

人工呼吸器を着けるか悩んでいた時に、ネットで見つけたALS患者さんのブログがとても印象的で、その方の生活を見学したくて佐賀県まで行きました。

ALSを乗り越えた患者さんに会えばヒントが得られるのではと思ったからです。その方は中野玄三さんです。

妻と娘の3人で旅行を兼ねて行きましたが、私はお会いする前夜は緊張して眠れなくとても旅行気分にはなれませんでした。

ご自宅を訪問すると玄三さん、奥様、2名のPAさん(ヘルパーさん)が温かく迎えてくださいました。

車椅子に座られていてPAさんとの会話のやりとりが速く、両足指にマウスをくっつけてパソコンやテレビの操作をされていて驚きました。

また、ご自身の思いを綴られた映画も観せていただき深い感銘を受けました。
表情筋が動くので笑顔も素敵で、とても発症20年の患者さんには見えませんでした。

ALSの診断を受けた時の医師の説明では、発症から2~4年で寝たきりと聴いてましたので、余りの違いに驚きと希望が湧いてきました。

私は気管切開手術も恐ろしいですが、自分で排泄ができなくなったら他人の世話になることを悩んでました。奥様から「どうってことないですよ」と言われて気持ちが楽になりました。

玄三さんが生き生きと過ごされている様子を拝見し、人生観が変わりました。玄三さん、奥様、PA様には感謝の気持ちで一杯です。

玄三さん宅を見学させていただいたことは人工呼吸器選択に気持ちが傾いた要因の一つとなりました。

しかし、上記内容は人工呼吸器の選択をお勧めする意図はありません。

家庭環境、経済状態などにも考慮し意思決定されることになるかと思いますが、情報収集が偏らないようにし最善の選択をしていただくように願っています。

 

レスパイト入院について

在宅療養患者が家族の負担軽減のためにレスパイト入院するのは必要だと思います。

しかし、声を失った患者さんで意思を伝えるために透明文字盤や口文字を必要とする方もいらっしゃいますので、ヘルパーさんが入れない時間帯に透明文字盤等の対応ができる看護師さんの配置も検討して頂きたいです。

私の場合は意思伝達装置(パソコン)を足で操作するので、着替えや排泄の姿勢では足が動かせなく透明文字盤が唯一の伝達手段です。在宅で入ってもらっているヘルパーさんが入院先でもそのまま入れればいいですが、遠隔地のため時間を短縮されたり来て頂けない事業所もありました。

透明文字盤を文章で読み取れるようにするには少し練習が必要ですが、単語を読み取ってもらえるだけでも意思が伝わるケースもあります。

例えば透明文字盤で「よだれ」と3文字読み取ってもらえれば、口から唾液がこぼれているのがわかり口角や顎などを拭いてもらえます。

患者にとって最も恐ろしいのは言いたいことが伝えられなく、意図しない対応をされることです。

忙しい看護師さんにとっても透明文字盤等で読み取りができれば、患者対応の時間が短縮され業務の効率化に繋がります。

透明文字盤や口文字が使える看護師さんを配置し速やかに患者対応を行うことを努力義務化し、声を失った患者が安心して入院できる体制を整えて頂きたいです。

 

ラジカットの有効性

患者会の質問の中で「ラジカットは効いてますか」とよく聴かれました。当事者に聴くとよく分からないとの回答が多かったです。

進行を止めるのではなく抑制する薬なので、効いてるのかわかりにくいと思いますね。

ALS患者の症状は人によって様々ですので、効き具合も差があるかと思います。(肝臓などに疾患がある方には副作用があります)

わたしの場合は発症2年経過後に開始し、気管切開するまで3年半ラジカットを投与しましたが、止めてからの進行は驚くほど速かったです。

悪化が目立ったのは手指の硬直、手のひらの突っ張り、脚の筋力低下でした。

脚は気管切開後もしばらくは200mほど歩行ができました。2階で過ごしてましたので階段を昇り降りしましたが、1年足らずでベッド上での生活になると数ヶ月で歩けなくなりました。

廃用性症候群が主な原因と考えてますが、ラジカット治療をやめたことも大きかったと思います。

今振り返るとラジカットが症状の進行にブレーキをかけてくれてたと思います。

在宅医には気管切開してもラジカットを続けられると聞いてましたが、手術先の病院では気管切開したのでもういいでしょうと言われ、ラジカットを止められてました。

退院前カンファレンスでラジカット治療を継続したい旨の文書を読んでもらう予定でしたが、会議が短縮され意思を伝える機会を逸しました。

退院後在宅医にお願いしましたが、病院で認められなかったので翻すことはできないと言われました。もう十分点滴をしたのでこの辺で終わってもいいのかなと思いました。

ラジカット治療は点滴投与なので、病気進行に伴い血管が次第に細くなっていき、注射針が刺しにくくなります。わたしの場合も3年目になると注射の打ち直しが増え血管が穴だらけでした。

ところが、昨年ラジカットの経口薬が厚労省で承認され、年内に販売されるのがほぼ確実となりました。

ラジカット治療される方には明るいニュースですね。

 

わたしの昨年(2022年)の10大ニュースです

わたしの昨年(2022年)の10大ニュースです。

①医療スタッフの大幅入れ替え

週3日訪問看護・リハビリサービスを受けていたステーションを他の事業所に変えました。7年近くお世話になりスタッフさんも良い方でしたが、ステーションの方針が安全最優先を理由にわたしの意向に沿わないことが多かったので悩み抜いた末他社に変えました。新しい事業所様は安全最優先とわたしの意向にも配慮してくださり、1年以上停止していた立位介助が復活したのは驚きと感謝の言葉しかありません。

②1年でヘルパーが20名に倍増

深夜を除く大部分を撤退した介護事業所様の空白時間を埋めるために、新たに3事業所10名のヘルパーさんが増えました。1日に5名〜7名入れ替わる細切れ介護になってしまいました。性格の違いやスキルに差があるので対応に少々疲れますが、ヘルパー事業所が見つからない地域のことを思うと随分恵まれていることに感謝しています。

③ALS患者会3年ぶりに開催

コロナ禍で休止となっていた患者家族会が3年ぶりにzoom開催されました。進行性難病ALS患者にとって3年も経つと症状がかなり進行した患者さんが多いと思います。患者・ご家族がzoomで会えるのはかけがえのない時間です。Zoomは大企業を中心にビジネスや各種講習会等で普及しているようですが、患者家族、介護者では通信環境が整わなくて十分に普及されていないのが現状です。

④ALS協会北海道支部の方々との交流

SNSの友達になってくださって7年のKさんからのお誘いを受けて、北海道患者会にZoom参加させていただきました。1000キロも離れた所にいらっしゃる方々とオンラインで繋がりとても有意義な時間を過ごせました。

⑤コロナ感染したスタッフさん前年、前々年を上回る

ヘルパーさん、看護師さん、訪問入浴さんを合わせてのコロナ感染者数が前年、前々年を上回り、わたしは3回濃厚接触者になりました。介護時間に穴が開いた日もありましたが、他の事業所様の支援も受けて最小限に抑えることができました。

⑥ゴロンに参加

フリーアナウンサーの平野さんが主催されているイベントで、毎年6月世界ALSデーに因んで行われます。会場参加者が揃って5分間仰向けで横になり、その間手足を動かさないことでALS患者の体の不自由さを体験します。名古屋が会場ですが、県外からの参加者も多いです。生きる勇気をいただいてます。ALS協会の皆さん、知人との再会もあり楽しかったです。

⑦脚の筋力低下が進みパソコン入力がし辛くなる

脚の筋力が低下し足を左右に動かす可動域が狭くなったので、マウス操作がし辛くなりました。足のポジショニング(トラックボールマウスのセット、足の位置の調整など)にも時間を要し、位置が定まらないまま無理にマウス操作すると脚の疲労が増大します。オーバーワークしないように心がけたいです。

⑧舌の短縮・肥大にショック

1月(昨年)にSTさん(言語聴覚士)が口腔運動で鏡を持って来られ、2年ぶりに口腔内を見たら想像以上に舌が短縮、肥大し口の開きが狭くなっていてショックが大きかったです。STさんは5年以上入っていただいてましたが、口腔リハビリの内容は変わらず、舌の運動の時は「いいですね」としか仰らなく新しい提案もなかったので口腔機能に大きな変化はないと思っていました。悔やんでも舌を元に戻せません。昨年から新しい事業所のSTさんに来ていただき、口腔機能の現状維持と嚥下訓練も行っています。

⑨花見を楽しむ

自宅から15キロ離れた所にある緑地公園へ花見に行ってきました。好天に恵まれ青空と桜のコラボレーションがとても綺麗でした。遊園地もあり家族連れが楽しそうでした。ロシアが侵攻する2ヶ月前まではウクライナでも同じような光景が観られたはずです。桜から元気をもらい平和の尊さを嚙みしめ、楽しい時間を過ごせたことを幸せに感じました。

⑩年末にイルミネーションを観に行く

スケジュールの中に夜の2人介助は組まれてませんが、事業所様のご厚意で1時間半駅前の夜景を観に行きました。イルミネーションがとても綺麗で良い気分転換になりました。

 

以上です。寝たきりがメインの生活ですが、1年を振り返ると楽しかったことも多く平穏に過ごせたことを幸せに思います。

医療スタッフさんと介護スタッフさんのおかげと感謝しています。

上記10大ニュースは年末に書くべきでしたが、遅くなってしまい反省しております。

 

人工呼吸器を着けるかどうか結論が出せない方へ

ALSを発症し人工呼吸器を着けるかどうか結論を出せないまま日にちだけが過ぎていく....。わたしもそうでした。
医師、スタッフさん、ALS協会、SNSなど多方面から情報収集されるといいと思います。
また、人工呼吸器を着けているとどんな生活になるのかイメージするのが難しいと思います。

ALS協会やスタッフさんなどから紹介が得られれば療養生活を見学できるといいですね。

患者本人でしか語れない思いもあります。

しかし、コロナ禍でもあり、見学に応じていただける患者さんは中々いらっしゃらないのが現状です。

最近はZ00Mというアプリを使ったオンライン交流が、すっかり馴染みのあるものになりました。

パソコン画面を通してオンラインでの対面も可能ではないでしょうか。

 

わたしの意思伝達ツール

意思伝達の準備は気管切開や構音障害で声を失ってからでは遅いです。

透明文字盤、口文字、意思伝達装置などのツールが必要となります。

わたしの場合は足でパソコンを操作します。
文字入力は右足でトラックボールマウスを操作し、左足でタッチセンサースイッチに触れて決定します。

メールなど送信するものはWordで作成したものを右クリックでコピーし貼りつけてます。

この作業が一苦労です。コピーしたい箇所を選択し、そこへマウスを合わせるために右足で右クリックしますが、一度ではうまくいかずなんどもトライします。

そこで右クリックがし易いようにスイッチを着けましたが、最近はヘルパーさんに右クリックスイッチを代わりに押してもらってます。

今の文字入力方法がいつまで続けられるかわかりませんが、体験者でしか語れない思いを皆さんへもっとお伝えしたいのでよろしくお願いします。

 

9年前の2月28日はは病気退職した日です

9年前の今月2月28日は会社を病気退職した日です。

前月2週間の検査入院の結果ALSと診断され絶望の淵に立たされました。
退院したら仕事場に戻ることしか頭になかったのですが、家族から説得され退職を決意しました。

経済的なことを考えるとあと半年位仕事の継続を考えてましたが、進行が早まるのではとの不安もありました。

幸いにも長男は独立し長女も就職し、住宅ローンの返済も終わってました。発症が10年早かったらかなり逼迫していたと思います。

2月28日は就業時間の終わりに挨拶し花束を渡されて終わりました。てっきり送別会があると思っていたのですが、代わりに餞別をいただき少し拍子抜けしました。

食事が少ししか食べられないことへの気遣いだったのかもしれません。

社内では難病を患って辞めるらしいことが伝わっていたので、送別会を開いても幹事の人はどう声掛けしていいのか戸惑いもあっただろうと思います。21年間慣れ親しんだ会社の去り際は寂しいものでした。

定年退職ならば明日からどうやって暮らそうかとゆっくり考えばいいですが、余命が3年〜5年と宣告されたわたしにはいつまでも泣き崩れている時間的余裕はありませんでした。

当時唯一の進行抑制薬はリルゾールしかなく余命を延ばす効果がわずか約2ヶ月と聞いた時は落胆が大きかったです。これからどう生きていけばいいのか?

毎日ネットで情報収集し、日本ALS協会の存在を知りました。

早速妻と二人で支部を訪問し在宅医、鍼灸院を紹介していただきました。
利用できる社会資源や患者会の話も聴かせていただき道しるべが見えました。
温かいことばが何より嬉しく、希望を持って頑張ろうという気持ちになれました。

この後の2年間は先々の療養生活を考えながら、旅行を重ね楽しく過ごせました。また、同じALS患者の方との交流もあり充実してました。5年後には気管切開手術をし、人工呼吸器で生きる道を選択をしました。

色々な葛藤があり今も続いてますが、気持ちだけは負けないようにしています。
その根底にあるのはと聴かれたら?
三つあります。
一つ目はALSを罹患した悔しさからくる負けてたまるかという気持ちです。
二つ目は同じ病気仲間のSNSなどを通してのメッセージです。
三つ目は医療・介護スタッフさまのサポートです。
その他友人からの励ましも忘れません。

多くの方々の支えに感謝し生き抜いて行きます。

 

みんなでごろんへ行ってきました!

 

戸田川緑地公園へ花見に行ってきました

 

昨日は介護タクシーで自宅から15キロの所にある戸田川緑地公園へ花見に行ってきました。

桜がとても綺麗でした。好天にも恵まれ風も爽やかでした。

公園内には遊園地があり家族連れで賑わってました。

2ヶ月前はウクライナでも同じ光景が観られたはずです。

毎日ニュースを聴いて心が痛みますね。

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